北大研究職ママたちの座談会ー育児中女性研究者編ーとして、北大で子育てしながら、教職や研究職についている30~40代の方5名に集まっていただき、
結婚・妊娠・出産・子育てと仕事の両立や、進路を選ぶ際の葛藤などについてお話しいただきました。2回に分けてお届けします。
第一回:結婚とパートナーとの家事分担
第二回:みんなの妊娠・出産・育児←今回はここ
妊娠・出産から仕事復帰。
無事に生まれるか・・・? 2人目は? 保育園への入園は?
復帰と保育園問題は切っても切り離せない関係。保育園は職場の近くがいいのか家の近くがいいのか?働き方も関連してきそう。
―――今度は妊娠と出産についてです。前後に感じた不安や変化したこと、職場復帰はどのようにされたのか、教えていただけますか。
C:妊娠はやっぱり激変というか激震という感じでした(笑)。結婚して1年くらいは、自分の年齢が上がってきているのはジワジワ感じつつ、あまり考えないようにしていました。やっぱり欲しいかなと思って、よし欲しいぞという意思確認を自分にしました。治療もしなくてはいけなかったので、それは腹をくくってやらなきゃ、という感じで。
30代後半で高齢出産[1]日本では、“35歳以上の初産婦を高年初産婦とする”という定義があります。だったので、無事に生まれるかが心配ですごく慎重な生活をしました。コロナの前でしたけれど、妊娠中は出張を全部キャンセルして、海外も行きませんでした。そして、生まれるか生まれないかというタイミングで夫の単身赴任が決まったのですが、子育てのために夫のキャリアアップを諦めてほしくなかったので、それは後押ししました。私は4ヶ月で職場復帰しましたが、「復帰」という言葉を使わない方がいいなと思うくらい、体も心も変異してしまいました(笑)。
E:私は今、子どもが2人いますが、もう1人欲しいなと思っています。できるだけ研究がストップする時間を短くして復帰したい。1人目、2人目の時にも、ほぼ産休明けのタイミングで、すぐ職場の託児所を使って復帰していました。
(一同) すごーい!
E:その職場が特殊だったのです。トップが子持ちのお母さんで、その下で働いている人たちも、子育て中の人がとても多かった。そこの託児所[2]Eさんの当時の職場には託児所が設けられていたそうを使って、2~3ヶ月で復帰するのが普通の流れになっていた職場でした。なので、就職した時に、これは産み時だぞと思って、立て続けに産みました。職場の理解があることと託児所が使いやすいことはとても重要だと思います。
――北海道大学にも、学内保育施設として「ともに保育園」「ポプラ」「子どもの園」があります。
A:ともに保育園は、保育時間が長いのは助かりますよね。夕食も出してくれてすごくいいと思います[3]ともに保育園ウェブサイト。3人預けると夫婦どちらか一人分の給料は出ていっちゃう感じですが、今は3歳から無料[4]令和元年10月より、幼児教育・保育の無償化がスタート。詳細:内閣府ウェブサイトですよね。
E:私は今2人とも認可保育園に預けていますが、札幌市の認可保育園だとさらに第2子無料なのですよ[5]札幌市による、3歳未満第2子の利用者負担額(保育料)無料化。詳細:札幌市ウェブサイト。上の子が3歳児クラスに上がったら、3歳以上保育料無料の制度と併せて完全に無料になるとワクワクしているところ (笑)。
B:4月からは認可保育園の入園が決まりました。家が遠いと毎日大学まで連れて行くのが大変なので。職場に近いのはメリットですが、やっぱり家の近くの方がいいなと。
C:(職場近くの認可保育園には)定員が少なく0歳の4月でないと入園の可能性がほぼなかったので、それに合わせて復帰をしました。1才になるまで授乳のために保育園へ通うことができ、それができたのはとても良かった。
E:職場の保育園だとそれはありがたいですよね。私も職場近くの保育園へ授乳のために1日に3回通っていました。北大は授乳のための休憩[6]保育休暇のこと。詳細::北海道大学における子育て支援制度のあらましをとれるみたいですね。裁量労働制だから使ったことはないけれど。
A:私もポプラに預けて、朝授乳して昼授乳して。結構大変!
D:大変ですよね。それを避けるためにもミルクをあげられるようにしておけばよかったのですが・・・。うちの娘は、哺乳瓶のミルクを飲んでくれなかったのです。保育園にもっと早く預けるつもりだったのですが、(哺乳瓶の)ミルクを飲まないのであれば、授乳に来てくださいって言われて、それは大変そうだな、と・・・。
質問があるのですが、完全母乳で、全く哺乳瓶を受け付なくなって、大泣きするようになっちゃったのですが、皆さんはどのようにしていましたか?
A:1人目は完全母乳で、哺乳瓶を拒否しました。で、2人目は3ヶ月で復帰することを決めていたので、最初からこの時間は哺乳瓶と決めていました。乳首の穴の大きさをちゃんと月齢に合わせて変えるようにしていました。
D:乳首の形ばかり換えていました!
E:母乳の方が楽ですよね。2人目が生まれた時には、Aさんがやっておられたように一日何回かは(哺乳瓶の)ミルクにして慣らすようにしていたんですが、母乳の楽さに負けてミルクをさぼっていたら、またしてもミルク拒否になってしまって。反省しています。
D:もう一つ皆さんに聞きたいことがあります。できれば、もう1人子どもを持ちたいと思っているのですが、お子さんがお2人いらっしゃる方にお聞きしたいのですが、夫と別居の場合は2人目って難しいですか?
A:始めから遠距離結婚で、1人目の妊娠と同時に夫と(私の)海外留学が決まりました。留学中は一緒に住んで2年後に、私は札幌に戻りたくて戻り、夫は道外のもともと務めていた大学に復帰しました。その後、夫が北大に異動してきてくれて、一緒に住めるようになったという経緯です。別居している間は2人目の子どものことは考えられなかったですね。
D:やっぱりそうですか…
A:夫が2週間に1回週末に来てくれましたが、普段、仕事と家事と育児を全部自分でやっていると、2人目をという余裕が自分には持てませんでした。また、夫と同居した後も、2人目が欲しいねとなっても、年齢のことでなかなか授からなくて。子どもは2人以上欲しかったけれど、今年出来なかったらもう諦めあきらようかなって思った矢先に妊娠したのです。でも、子育てが私の退職まで終わらないって言う(笑)。
E:子供の年齢が近くて大変な時期がギュッ としていれば、もうすぐ落ち着くのだろうな、数年間頑張ろうっていう感じかな。
―――妊婦検診のための病院通いなどは、研究や授業を担当しながら大変ではありませんでしたか?
C:裁量労働制なので病院通いが柔軟にできたのはよいところでした。
A:妊娠期間に体調が良ければ問題ないですよね。私はつわりも軽く妊娠中に大学を休むこともなく過ごせました。
C:妊娠期間中はちょうど教授が不在で、30人ほどいるゼミの学生も全部見なくちゃいけなくて、それが10ヶ月続くとなると、プレッシャーも結構ありました。高齢出産のリスクがあるなか、私が倒れるわけにはいかないっていうのもあって、出張は行かなかったです。
―――つわりがある場合、授業はどうするのでしょうか?
C:産後は、代替教員をお願いするという方法もあるかもしれませんが、妊娠中は難しいです。
E:せいぜい同じ授業を持っている先生にあらかじめ掛け合っておくぐらいしかできない。
C:それ(あらかじめ掛け合っておく)は言いづらかったですよ。妊娠したこともごく近い関係者にしかギリギリまでは言えなかった。ほんとに無事に生まれるか怖かったのです。
次のページへつづく!
~相談相手、職場でのロールモデル、ママ友、日常の“あるある”の共有相手。
~昔の自分に言ってあげたい事。仕事と家庭の両立に不安に思っていたら・・・。
脚注
1↑ | 日本では、“35歳以上の初産婦を高年初産婦とする”という定義があります。 |
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2↑ | Eさんの当時の職場には託児所が設けられていたそう |
3↑ | ともに保育園ウェブサイト |
4↑ | 令和元年10月より、幼児教育・保育の無償化がスタート。詳細:内閣府ウェブサイト |
5↑ | 札幌市による、3歳未満第2子の利用者負担額(保育料)無料化。詳細:札幌市ウェブサイト |
6↑ | 保育休暇のこと。詳細::北海道大学における子育て支援制度のあらまし |